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リナロ、そしてキナリな時間

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カラダの外にでた物は「血」とはいわない?!

「血(けつ)」は身体の中で「気」が一緒になってはじめて血液としてとらえる。
外にでたとたんに、「気」は拡散して離れてしまう。(離経之血)
身体の外に出たものは「血」ではない。(死血)
気の力によって「血」は存在する。(血為気之母)

・・・輸血してまた身体に入れると身体の中で「気」がまたやどり、
「血」として蘇る・・

ほぉ~

おもしろすぎる小金井先生の中医学の授業。
今日は、「気・血・津液」について。

無形である「気」の概念は、
東洋の哲学や医学ではメインになる部分でもある。
万物すべてに「気」が宿るという考えのなかに生きてきた東洋の人たちには、
感覚で理解することはむずかしくないけれど、
それを、言葉で表現する難しさはいつも感じているところでもあり。

「心気・肝気・腎気・・・・・」と、
臓象学説のところでももちろんでてくる「気」ではあるけれど、
「気」そのものの概念をどうとらえていくのか。

中医学では、有形のものを動かし、管理するのは「気」であると考える。
たとえば、
「血(けつ)」の流れが正常であることは、「心気」が正常に動いているととらえる。
これは、
「心気」が弱れば「血」を送り出せなくなるし、
「血」が流れなくなれば、「心気」が正常であっても流れない。
というように「血液」そのものを部分でとらえることはない。

有形のものと無形のものの相関関係を全体としてとらえていく。

有機的全体思考。

中医理論においてのもっとも基本的な考え方は、
まず、全体を認識する立場に立ち、そして個々の関連性を思考する。
人体自体をひとつの統一体として見なし、内部個々の関連性を考慮し、その上で、
自然界との対応を認識していく。

人体は、各組織器官から成り立っているけれど、それらはバラバラに機能しているのではなく、
相互の関連性の上に成り立ち、相対的均衡性をもちながら全体的調和を保っているということ。

個としての統一体は、内部矛盾の上に成り立つ個としての統一体であり、
すべては、バランスなのだ。

これは、生き方(在り方)そのものの哲学につながる。


これを具体的に紐解いていく講義。
ぐんぐん引き込まれていくうち、あっという間に終ってしまうから、
時間、たりな~い!!
と後ろ髪引かれつつ、とんぼ返りで今回も帰路へつくのでした。



毎回、メインの講義の内容以外のところでハッとするような言葉をもらう。

前回の講義の時に先生のエピソードの話しのからでた言葉。
「すべては直感できめる。上(天)にあげとけば答えがくる」

自分に向けて話して下さったのかと思うほど、
その時の私の心の深いところに入った。

そう、すべては自分を信じ、流れのままに。
by atelier13 | 2009-07-09 08:29 | 日々のこと