河北新報7月6日の朝刊、
『「好き!」を貫く女たち』に紹介していただきました。
「思い」だけ先行しては、
前のめり気味に走って転んで、また起きる(笑)
こんな私を見つけて下さって、
本当にありがとうございます。
ある意味、これは、
私なりに『「好き!」を貫いて来た』ということなんだと
あらためて、時間の流れを見つめるきっかけになりました。
そして、思いがけず「思いの棚卸し」ができたように思います。
会津の田舎で育った私の小さいころ。
日本の生活の道具や器はみんな木や自然のもので出来ていて、
暮らしそのものが確かに自然のリズムと同じ速度で流れていました。
今あの頃の器や道具たちは、
もう使われることなく実家の蔵の奥にしまわれています。
ひいばぁちゃんのこね鉢
最近、本当の豊かさの意味をよく考えるようになりました。
暮らしも食もまったく変わってしまった今の日々の暮らしのなかで
ふっとした瞬間によみがえる昔の台所の風景や母の姿。
母が湯気の上がったもち米を運んできて、
祖父と父が杵と臼で餅つきをし、
祖母が掛け声をかけながら餅を返していた
お正月が近い朝の風景。
向田邦子の世界にいるような心がほわっとなる思い出。
時の玉手箱のようです。
昔は、お祝いも仏事も人が集まるときには2間続きの座敷を開け放し
母が何日も前から仕込んで準備をしていた料理がお膳に並べられました。
土間がある台所ではいくつも大きな鍋が並び、活気づいていて
幼心にもワクワクしたのを覚えています。
今思えば母は相当大変だったのだろうけれど。
女は台所にいるのものと言われ、ずっと母の傍にくっついていた私。
特に教わったわけではないけれど、
母のしてたことはやっぱりカラダやココロが覚えていて、
伝えていかなきゃって思います。
日本人の血に流れる感受性の素晴らしさを忘れないために。
やっぱりこれが私の原点。
あらためて感じた今回の取材でした。
昨日、今日とたくさんの方にお問い合わせをいただいて、
びっくりしながらも、とても嬉しい時間と大きな力をいただきました。
ご連絡下さったみなさま、本当にありがとうございました。
記事のなかで書いていただいたニシンの山椒漬け。
食べ物の記憶は、小さい頃の自分と繋がって、胸がキュンとなります。
子どもたちみんなに、そういう記憶を繋いでいきたい。